「エール」五郎「麒麟」義昭の共通点、朝ドラ・大河における戦争観の歪みと葛藤を考える【宝泉薫】
■今の日本人が戦争をフラットに描けるのか?
それはさておき、義昭の話だ。「麒麟」では、これまでにない斬新な人物造型が試みられている。ここでの義昭は、長く仏門にいて慈悲深くなっているため、還俗して将軍位に就くにあたって、
「私はいくさが好きではない。死ぬのが怖い。人を殺すなど思うだけでも恐ろしい」
などと言うのだ。それゆえ、民のための善政を敷こうとするが、政治的に無力であるため、利用され、かえって戦乱をエスカレートさせてしまう。仏教をないがしろにする信長に対しても激怒して、そこから陰謀家に変貌していくわけだ。
これはおそらく、足利義教のケースを参考にしているのだろう。こちらも仏僧から将軍になったが、やる気を出しすぎ、恐怖政治を行なって、暗殺されてしまう。
興味深いのは、仏教がカギになっていることだ。「エール」でキリスト教に入れ込むことの怖さが語られたように「麒麟」では仏教をめぐるそれが垣間見える。実際、昔の十字軍や今のイスラム国など、宗教が絡んだ戦争やテロは数知れない。ふたつのドラマは、そういう世の本質をシニカルに浮かびあがらせたともいえる。
なんにせよ、今の日本人が戦争をフラットに描いたり、見たりすることは難しい。世界的な枠組でも、1945年に確立された体制が続いており、日本はいまだ敗戦国扱いだ。
朝ドラでも大河でも、それ以外のドラマ・映画でも、しばらくはこのいびつな戦争の描き方を愛でるしかないのかもしれない。
(宝泉薫 作家・芸能評論家)